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2分の1成人式に思う

by ヤー子

2分の1成人式というものを
去年知った。
親や先生、同級生の皆の前で
親への感謝を伝える内容だったり
学校の中だけで将来の夢を発表する
と、実は色々あるようで
賛否両論あるのは前者のほう。
無理もない。


子を殺す親のニュースさえ
後を絶たず
ニュースに出てこない
親の問題に苦しむ子供だって
たくさんいるはずだから。


女を必要としない家で生まれた次女。
2才上の姉が1年間だけ
幼稚園に通うようになったその日から
家にひとり閉じ込められていた。

姉と同じ幼稚園に
通えるようになるまでの2年間。
女はひとりでいい。
面倒をみるのもおっくうだ。
金もかかる。
誰も反対しない。
今思えば、そんな理由だったのだろう。


いわゆる放置子だった。

ガス火の不始末や、転落、誤飲などで
よくぞまぁ
死ななかったことだと思う。
何度か川で溺れかけたこともあるが
運よく今も生きている。

家族や親せき以外には
恵まれていた。

たまに鍵が開いていて
近くを歩いていたら
近所の人たちが家に入れてくれた。
パン屋のおばちゃんはパンをくれた。
工場のおっちゃんも
機械が動くのを見せてくれたり
お菓子もくれて、
家まで送ってくれた。

みんな
「お前の親は、何してんだ」
なんて言わなかった。

知っていたから、
言えなかったのか。
「お前の親は、どうなっとんねん」
「お前のこと、どうでもええのんか」なんて。

間違いなく、目の前にいる子供は
「どうなってもいい」と
親に思われていることが
分かっていたから。

本当のことを言わない
その人たちの気持ちが
たとえ自分より下の、
気の毒な子供への
憐憫の情からだったとしても。

2分の1成人式。

個々の心情に配慮するよりも
感謝の気持ちを持つ大事さを
子供たちに教えたい

それに
喜ぶ人も多い

そんな考えで
式を開く学校やPTAも
あるかもしれない

けれど
あの時の私ならば
自分ではどうすることも出来ない
自分の身の上に
スポットをあてられ
親への感謝を
強要されたとしたら

きっと、未来に影響していただろう

運動や勉強、友達づくりといった
能力の過不足と
環境の過不足が同じとは思えない

むしろ
環境のほうは見て見ぬふりのほうが
有難い
子供だってプライドはあるから


小さいころ見た世界は
鮮烈だった。

世界はそんなに汚くない。

優しくしてくれた人もいる。


誰かに大事にされた記憶は残る。
誰かに大事に思われた記憶も残る。

感謝は誰かに強要されるものではなく
生まれるものだ。


学校やPTA組織というものは
なかなか決まったことを
変えにくいし、
やめにくいのではないかと思う。
仕組み上。
反対する声も
なかなか表に出てこない。

こんな声もあるから
ちょっと考えてみようか

なんて大人たちの寛容さが
子供たちの世界を守ってくれたらいいなと
切に願う



ヤー子
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